⒈自律神経にとっての「緊張」

戦い!

今の日本のような安全な社会が築かれる以前は、自然や野生動物、敵対するグループの脅威は、じかに肌身に迫るものでした。
緊張して周囲に気を配り、危険が潜んでいればいち早く察知して対応し、一瞬も気が抜けない中で食物や水を手に入れなければならない厳しい生活です。
常に必死の努力が必要なので、身体機能もこれに有利なように整備されていきました。
いちいち意識しなくても呼吸して酸素を取り入れ、心臓が拍動して体じゅうに血液を循環させ、消化器官は消化し養分を吸収します。
これが、自律神経による「自動制御」です。

危険がせまったときは、ケガしやすい手足の先への血液流入が減り、戦いや逃走で無我夢中で傷ついても、失う血液の量を減らします。
その分の血液は、大部分が心臓の拍動が増えて筋肉にいく量に加えられ、戦いや逃走に有利な状態になりました。
また、身体の深いところにある内臓にも送られて安全にたくわえられ、やはり浅い傷で失う血液が減らされました。
命がけの戦いや逃走の最中に、食事やウンチをしていては死んでしまうので、緊張している状態では消化器系の働きは抑制され、唾液の分泌も減り、空腹も感じにくくなりました。

身構えててしまう

脳にとっての最大・最優先の課題は「生命を守ること」。
現代の日本では通常「今の一瞬を生き延びる」ための厳しい努力は不要です。
ですがこの変化は、生物としての進化の速度に対してあまりに急速で、わたしたちの身体は今の社会の安全性に十分追いついていません。
脳にとっての「緊張」は、生命を守るために全力で「闘争」または「逃走」の態勢に入ること、今の一瞬を生き延びるために、余裕など残さず身体機能をギリギリまで駆り立てること、を意味します。
そして現代でも、脳とからだにとって「緊張」の意味は変わっていません。

「余裕など残さず」というのは、いわゆる「自然治癒力」や「回復力」と呼ばれる、未来のためのたくわえもあきらめる、という意味です。
緊張すると、血流が抑制されて手足の先は冷たくなり、消化器系の活動が抑えられて食欲も感じなくなります。
自分の部屋でゆっくり過ごしているはずなのに、ゆったりした気分でくつろぐことができず、明日の気にかかることがチラッと頭をかすめただけで急に心臓がドキドキする、というのは、出番が減ったこの仕組みが「生命を守るために」いまだに第一線で頑張っているからなのです。

⒉自律神経の不調

気分が落ち込む

ひとには、体を意思のとおりに動かす「運動神経」と、生命を守るために意思に関係なくはたらく「自律神経」があります。
ここでは自律神経のはたらき方について見ていきます。

さて、自律神経を統括するのは脳ですが、その脳にとっての最大・最優先の使命は、「自分の生命を守ること」、「今この瞬間を生き延びてその先に生命をつなぐこと」です。
当たり前のことに思えますが、実は根底にあるこの使命が、わたしたちのQOL「生活(人生)の質」に大きく影響しています。
そして、生命活動の維持が使命の自律神経の不調は、呼吸・摂食・睡眠など多くの機能にかかわる差しさわりとして、広い範囲で自覚されます。
西洋医学では「不定愁訴」という名前でひとくくりにされますが、臓器や部位ごとに診療科を分ける現代日本の医療制度ではちょっと扱いにくいのかもしれません。

誰もわかってくれない

自律神経の不調が扱いにくい原因はもう一つ、他の人が外から見て容易にわかるものではなく「本人にしかわからない」ということです。
本人が口に出して訴えなければ周りの人たちにはわかりません。
ときには、言葉で伝えても理解されず、単なる「気のせい」と考えられて、いたわられるどころか「しっかりしろ」「気にするから悪いんだ」「わがままだね」などと非難めいた言葉が返ってくることもあるかもしれません。
実際長くこの症状に悩まされてきたかたが一番つらく感じるのは、誰にも共感してもらえず、孤立感が深まっていくことです。

自分にしかわからない苦しさを抱えて日々生活していくのはとても苦しいことです。
鍼灸院は、患者さんお一人お一人にかけられる時間が比較的多いです。
苦しさを吐き出すだけでもずいぶん楽になりますから、一度鍼灸院を訪れて御覧になってはいかがでしょうか?